組織のミカタ

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ローレンス佐藤のオフィシャルブログ

仕事は愛を伝える手段

大分間が空いてしまいました。

 

深夜に目が冴えてしまい、書き始めました。

 

私は創業して約2年半ですが、事業を始めると、仕事について当然日々考えている訳ですが、いろいろな壁や困難に直面しながら、最終的には、どう生き抜いていくか、という課題に真正面からぶつかっていくことになります。すると、「生きる」ということについて物凄く考えるようになる訳です。どうやって生きていこうか?どうやったら生きていけるのか?と。

 

そんな中で、「生きる」のに大切なことってなんだろう?と自分なりに改めて深く考えました。そして、結局この2つだけではないかという結論が出ました。

 

それは、「生きていていい」という安心と、「生きていける」という自信。この2つです。

 

少し言い換えれば、「自分という存在への承認」と「自分への信頼」とも言えると思います。

 

この2つが、人が生きていく上で一番の拠り所なのではないかと今の私は結論づけています。逆にこの2つの拠り所がないと、人が生きていくのは非常に困難になるのではないかと。

 

では、どうすればこの2つの拠り所、安心と自信を手に入れられるのでしょうか。

 

それは、人は何を為さなくてもいいんだ、という「許し」を自分にも他人にも与えることだと思います。

 

何かを為さねば、何者かにならなくては、自分は存在を承認されない、生きていくことはできない。そう考えてしまった時に、2つの拠り所は脆くも崩れ去ってしまいます。何か条件つきで捉えてしまった途端、「生きていていい」「生きていける」という安心と自信も条件つきになってしまうのです。

 

しかし、今の世の中では、「何かを為さねば」、「何者かにならなくては」という思考が支配的であり、社会的圧力になっていると思います。まるで、成功しなければ生きていけない、生きていてはいけないかのような風潮です。「いい大学に入らなくては」、「いい会社に入らなくては」、という強迫観念も同じだと思います。

 

人は何かをなす為に生まれてきた訳ではない。

何かを為したからあなたが認められる訳ではない。

 

私は人生の紆余曲折の中で、こんな信念を持つようになりました。

 

もちろん、何かを為すことも素晴らしいし、何者かになることも素晴らしい。でも、そうでなくてはならないなんてことはなく、「人は何かを為さなくてもいい」。そういう「許し」を自分にも他人にも与える。少なくともそういうスタンスで「生きる」ことを捉え直してみる。すると見えてきたんです。この世ですべきことは、自分の持てる愛を伝えることだけなんだな、ということが。

 

この世ですべきことは、自分の持てる愛を伝えることだけ。

 

こう理解した時、愛と仕事がつながりました。自分の愛を人に伝える為の手段として、自分には好きなことがあり、得意なことがあり、楽しいと思えることがあり、そして、それが仕事になる。そう、仕事とは、「自分の愛を最も効果的に人に伝えられる手段」なんだと。そして、自分はそういう選択をしたんだと。だから、自分の愛を伝えることを仕事にしようと思った時、会社に所属するという選択肢はもう取れなかったんだ。だから独立する道を選んだんだ。と腹落ちしたんです。

 

仕事とは、愛を伝える手段。

 

あなたは、どう思いますか?

もし、そう思えた時、あなたはどんな仕事をしたいですか?

 

では、また。

 

 

ライフ・ブレークスルー・ジャパン株式会社

代表取締役   ローレンス佐藤

http://www.life-btj.com